top of page
kujira-takahama

北陸の興味深~いクジラの歴史と文化、っていうお話

Updated: Nov 21

北陸では、捕鯨地以外でも意外と身近な存在!?

今でも混獲された新鮮なクジラが食べられてるんやて~!


まいどおおきに。

大阪の中央卸売市場で鯨肉の仲卸をやってる高浜康子です。


朝晩が肌寒くなってきて、そろそろ鍋物が恋しくなってきましたね~。

はりはり鍋に欠かせない水菜は、11月~2月頃が旬なんやて。

なるほど、鍋の季節とぴったりやね!


ちなみにクジラも冬が旬らしいですよ。

夏に向けて移動するため、脂肪を多く蓄えてるそうです。


最近、ネットショップから鯨肉のお問合せ増えてきました。

本当にありがとうございます。

ブログも読んでくださる方がいて、ほんま嬉しいです。

こうやっていろんな地域の鯨の文化を知ると、昔から貴重で、大切にされてきたんやな〜と思うこともたくさんあります。

各地域に鯨塚などもあって、戒名もつけられてるそうですよ。

これからも引き続きよろしくお願いいたします。


今回は、北陸地方のクジラの歴史や文化について調べてみました。

昔から富山湾の周辺では、定置網漁で混獲されるクジラが少なからずいるそうで、農林水産省でも混獲されるクジラについて取り決め(法令)があるそうです。

結構、種類ごとの対処法や漁法、状況など細かく決められているそうですよ。


また、調べてたら海のない長野県でも、川底などからクジラの化石が発掘されたって記事を見つけてんけど、海無いやんか〜いって思ったら、大昔、海の底だったときのものらしいです。


今回もいろいろとクジラのお話、調べてみましたが、海がなくてもクジラにまつわるお話はあるんやね。

よかったらちょっと読んでみたって~。


<写真>PhotoAC「松本城」より 

写真は、世界最古の「マッコウクジラ」の化石を展示している「松本市四賀化石館」のある松本市の松本城。

本編とは、直接関係ないけど、イメージです。


<参考サイト>


・低脂肪・低コレステロールでヘルシーな「鯨肉」


・定置網に混獲されたひげ鯨等の取り扱いの手引き




 

【目次】



 


内陸県でも化石が出土、能登では現代もクジラが身近に!


日本人の鯨食の始まりを示す史跡が、石川県の真脇遺跡です。

縄文時代前期(約5000年前)の地層から、イルカやゴンドウクジラの骨が大量に出土しています。

真脇遺跡の面する富山湾では対馬海流の分岐流が流れ込んでおり、そこに集まる魚やイカを追ってイルカの群れがやってきたようです。

遺跡からは石槍も多く出土しており、イルカを追い込んで槍で突きとっていたと考えられます。

周辺の村々と共同で漁を行い、解体して分配していたと思われる解体痕が見られる骨もあるそうです。

この地域では明治・大正時代頃まで、湾の中に網を張り船で追い込むイルカ漁が行われていたとのことです。

 

石川県能登町では、昔からクジラが漂着することが多く、クジラにまつわる伝説も残っており、「クジラの町」として知られています。

現在も定置網にクジラがかかってしまうことがあり、水産庁に届け出をして許可を得てから食用にしているそうで、スーパーで普通にクジラの刺身が売られているとのことです。

 

富山県の北代遺跡からは、割られたナガスクジラの骨が、磨製石斧とともに高床建物の柱穴の中から出土しています。

大きな穴を掘って柱を立て、その周りを埋め戻して柱を固める途中でクジラの骨が柱の脇に置かれていることから、建物の建築に伴い何らかの願いを込めて埋められたものであると考えられています。

北代の縄文人はナガスクジラの骨を貴重なものとして扱っていたとのことです。

江戸時代には、富山湾を回遊する小形のクジラやイルカを、追い込み漁によって捕獲したという記録があるそうです。

 

福井県高浜町では2004年に、骨同士がつながった状態で埋まっているクジラの化石が発見され、形態的特徴からヒゲクジラ亜目と推測されています。

 

新潟県では、1960年代に新潟県佐渡市小木堂釜の素浜海岸で発見されたツチクジラの頭骨の化石が、2021年に新種でツチクジラ属として世界最古の化石と判明し、「サドムカシツチクジラ」と命名されました。

佐渡博物館でそのレプリカが展示されています。

 

長野県松本市では、1936年12月、穴沢川の砂防工事中に歯クジラの仲間の化石が発見されました。

12個の脊椎骨と8本の肋骨とのことで、1973年に県の天然記念物に指定され、現地に産状のまま保存、展示公開されているそうです。

また1986年には、保福寺川で小学生が偶然化石を発見したのを受け、大規模な発掘をしたところ、マッコウクジラの全身骨格であることがわかり、環太平洋でも2例しかない大発見となったそうです。

発掘現場の近くにある四賀化石館で、この全長5.5メートルのシガマッコウクジラの化石と、天井から吊るされた全長8.4メートルの現世ミンククジラの骨格標本を見ることができます。

 

また長野県長野市信州新町では、1938年、猿倉沢と埋家沢との合流付近の露頭よりクジラ化石が発見されています。

発掘された頭骨は3.3mの大きさで、形態的な特徴から体長10~15mのヒゲクジラの仲間と推測され、現在は信州新町化石博物館で展示されています。

 

また長野県上田市では2020年に、浦野川の底から1300万年前のクジラの全身化石が見つかりました。

背中を上にした状態で、下あご、頭、首、胸、腰、尾の順に、骨格がほぼ完全な形で残っていたそうです。

体長約8メートルのアカボウクジラ科の成長したオスと推定されています。


<写真>PhotoAC「9月、日中の角田岬灯台 新潟市」より 


<参考サイト>


・鯨食文化 鯨食の始まり


・真脇遺跡縄文館


・クジラと北代縄文人


・高浜町のクジラ化石発掘について


・新種クジラの化石公開!佐渡博物館でクジラの歴史学べる企画展


・新種ツチクジラの和名が「サドムカシツチクジラ」に決定!


・穴沢のクジラ化石


・県天然記念物 穴沢クジラ化石 現地に産状のまま保存現場へ行く!


・松本市四賀化石館


・山穂刈のクジラ化石


・長野)1300万年前のクジラの全身化石、上田で発掘






 



北陸の各地で、クジラに関連する施設や鯨信仰などの文化が見られます。

いくつか調べてみました。

 

【石川県能登町】

縄文時代からクジラとのかかわりが深く、「鯨一頭で七浦光る」という言葉もあり、町内各地で鯨伝説やクジラにちなんだ地名が残っている。

神目神社に奉納されている「鯨獲絵馬」、庄司兵衛という男が死後クジラになってお礼をしたという「庄次兵衛鯨伝説」、乗り上げたクジラにちなんで名づけられた「波並鯨島」という地名など。

古くから定置網漁が盛んだった三波地区には、混獲されてきたクジラに関する文化財や石碑が数多く残っている。

 

【富山県射水市】

「鯨神輿(くじらみこし)」の名だが、クジラの形ではなく普通の神輿。

1849年(嘉永2年)、海老江に住む船主と船頭が海中に沈んだクジラを引き揚げ、それを売ったお金でつくったとされる。

海老江加茂神社に奉納され、毎年9月の秋季例大祭で引き回される。

 

【福井県あわら市】

浜坂に、鯨塚の碑がある。

1812年(文化9年)頃、天候不順で不良や凶作が続いていた折、浜に迷い込んできた大きなクジラを捕獲して食糧とし、飢えをしのいだことから、供養塚が建てられたとのこと。

 

【福井県坂井市】

雄島にある大湊神社では、クジラは神の使いとされ、クジラを食べると体が腫れるという言い伝えがある。

その昔、雄島の神様が三国の安島に来られる時、波に乗せて行ってくれと頼んだが断られてしまい、クジラに頼んでみると引き受けてくれて、安島までくることができたという。

そのことから、神社の宮司の家ではクジラを食べてはいけないことになっているとのこと。


<写真>PhotoAC「神の島「雄島」福井県」より 

 

【新潟県佐渡市】

片野尾には、1860年(万延元年)に流れ着いた約30メートルの大きさのクジラのあご骨が、鯨の供養塔として建てられている。

椎泊にある「願誓寺」では、1888年(明治21年)に144メートルの流れ鯨を供養し鯨魚塔という銘の墓を立て「釋震聲能度鯨魚」という戒名をつけたとのこと。


<写真>PhotoAC「佐渡島両津港付近」より 

 

<参考サイト>


・能登の漁業伝統~鯨伝説碑~



・鯨神輿


・クジラ伝説の里に新拠点 石川県能登町・三波公民館が完成



・鯨塚・福井県あわら市


・坂井市:大湊(おおみなと)神社・雄島(おしま)


・片野尾の鯨の供養塔 




 


北陸地域の鯨食文化について


石川県能登町は「クジラの町」として知られており、古くからクジラが食べられていました。

同じ石川県でも、金沢のほうではあまり食べられていないそうです。


クジラを捕る目的ではない定置網に掛かってしまうことがあり、漁網を傷つけてしまうため、水産庁に届け出をして許可を得て食用としており、スーパーで普通にクジラの刺身が売られています。

また家庭料理としてすき焼きで食べる風習があり、クジラが水揚げされるとゴボウとネギが売り切れるとも言われているそうです。

三波地区では、宴席に刺身や酢の物などのクジラ料理が欠かせないとのことです。

2022年には、能登のクジラ文化を全国にアピールするため、高校生が「くじらクリームソーダ」を考案し、注目を集めたそうです。

 

石川県小松市にある老舗和菓子店「松葉屋」では、「くじら羹」というお菓子が夏季のみつくられています。

もともと京都が発祥で、北前船により青森や北海道にまで伝わっている伝統的なお菓子だそうです。

見た目はクジラのコロにそっくりで、もち米の風味と独特の舌触り、また昆布を使って着色した緑色の寒天のプリプリした口当たりが特徴とのことです。

 

近年、富山県の氷見クジラが和食の新しい食材として注目されているそうです。

氷見港で定置網に混獲されたクジラは市場や鮮魚店で入手でき、刺身や鍋、煮付けなど様々な調理法で食べられているとのことです。

福井県の福井平野では昔、クジラの脂身を細かく切り、醤油で味付けして煮込み、煮汁を素麺にかける「くじらそーめん」を食していたそうです。

 

新潟県の中越・下越地方では、「くじら汁」が郷土料理として食されています。

その昔、西日本で獲れたクジラが塩漬けにされ、北前船で新潟に運ばれていた影響でこの地に根付いたと考えられています。

塩漬けのクジラを使うため、山間部でも食されていました。

クジラの皮の脂身を、野菜と一緒に味噌で煮たもので、ナスやユウガオを入れ、夏の暑い時期にスタミナ食として食べられているようです。

給食のメニューに取り入れられたり、料理店や居酒屋などで提供されたりしています。


<写真>PhotoAC「北前船モニュメント。福井県南越前町河野」より 

 

<参考サイト>


・古くからクジラとの関係が深い石川県・能登町の高校生らが、町を活気づけるために考案した「くじらクリームソーダ」が大反響


・能登半島の定置網混獲の文化と鯨食(主に石川県鳳珠郡能登町を対象に)



・石川_小松の鯨羹


・氷見クジラの旬味、和食の新スターとして注目!


・くじらそーめん

・くじら汁 新潟県


・【新クジラ探訪記/新潟編】(日刊水産経済新聞2023年3月24日掲載)





 


《クジラの豆知識》オーストラリアのクジラ保護政策によりサメ被害増加


オーストラリアのビーチではサメ出没が相次いでおり、サメ被害が多発しているそうです。

サメが増加した原因の1つに挙げられているのが、クジラの保護政策です。

海岸近くでクジラが増えすぎたことにより、それを狙ってホオジロザメが集まってくるようになったとのことです。

5月から12月にかけての繁殖期、ザトウクジラやミナミセミクジラなどが西オーストラリア州沿岸部に移動すると、サメもその付近に集まってくるそうです。

クジラの死骸を食べたり、子どもや弱ったクジラを襲ったりして、サメの個体数が増加。

人間と接触する機会も増加している、ということのようです。


<写真>PhotoAC「西オーストラリア州の海」より 


<参考サイト>


・人命よりクジラ命…「反捕鯨原理主義」が招いたサメ被害の皮肉


・【皮肉】頻発するサメ被害はクジラの過保護が原因?? (オーストラリア)





 


《クジラの美味しい部位をご紹介⑬》内臓


クジラは捨てるところがないと言われるほど、昔からあらゆる部位が食べられてきました。

クジラの内臓には、舌(さえずり)、心臓、胃、小腸(百尋)、食道などがあり、珍味や茹でものとして食べられています。

舌はうまみがあり、心臓は濃厚な味わいとコリコリした食感が特徴です。

胃は脂ののったやわらかな食感で、小腸は輪切りの見た目がユニーク。

食道はコリコリした歯ごたえがあり、部位ごとに多彩な味わいが楽しめます。



<参考サイト>


・鯨料理・鯨食文化







《おうちでも簡単!鯨肉実践レシピ⑬》内臓の茹でもの


茹でた内臓はカロリーが低くヘルシーな珍味です。

九州や和歌山でも「いでもの」「うでもの」などと呼ばれ食べられてきました。


内臓の茹でものの作り方

【材料】

・内臓:つくりやすい量

・塩:適量(しょっぱさを強く感じるくらい)

・醤油:適量

・おろしショウガ:適量

 

【作り方】

・内臓はしっかり血抜きする。

・鍋にたっぷりの水を沸騰させ、内臓を入れて弱火で仮茹でし、あくを取り除く。

・あくが出なくなったら取り出して流水で洗う。

・再び、沸騰したお湯に内臓を入れ、弱火でじっくり本茹でする。

・串が刺さるまでやわらかくなったら、塩で味を付け、火を止める。

・鍋のお湯ごと別の容器に移し、粗熱をとる。

・冷蔵庫で1日以上寝かせ、味をしみこませる。

・薄くスライスし盛り付けてできあがり。ポン酢やポン酢マヨネーズも合う。

 

<参考サイト>


・小腸の茹で物




  

Comments


Commenting has been turned off.
bottom of page