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日本人とクジラの歴史と文化、っていうお話

Updated: Jan 26

日本人とクジラのつながりは半端やないで!

SDGsにも貢献する鯨食文化をもっと広めていきましょ!


まいどおおきに。

大阪の中央卸売市場で鯨肉の仲卸をやってる高浜康子です。


久しぶりのブログ更新です。

まぁ〜ほんまに色々ありまして、8月の終わりから、つい最近までバタバタしておりました。


そのバタバタの中に、知り合いの仲買人さんからの要望で鯨肉の新商品開発や試食会など実施していました。

鯨肉の新しいお取引とか、嬉しいわ〜

先日の試食会は、福祉施設向けの給食センターの方に向けたものでした。

「おいしいね〜お年寄り向けに懐かしいメニューもできそうでいいですね」と前向きなお声もいただけました。

そうですそうです。

ご年配の方にも、お子さまにも、女性にも、働き盛りの方にも、栄養的にとってもおすすめなんですよ。

何と言っても疲れやすい身体には「バレニン」豊富な鯨肉!

脂も魚油と同じオメガ3系脂肪酸(不飽和脂肪酸)だったりするので、血液サラサラ、認知症が気になる方にもピッタリな栄養素いっぱいですよ。


新商品は、はりはり鍋セットです。

出汁には、いつもお世話になってる「洋食やなぎ」さんに全面監修をお願いして、めちゃくちゃ美味しい出汁をセットにしてお買い得な商品にしてるからぜひ、「魚屋たかはま」のネットショップも覗いてくださいね。


それにしても久しぶりのブログなんで、何を書こうかな〜と考えたんですが、最近よく耳にするんが「クジラって捕ったらダメなんじゃなかった?」というお声。

いえいえ、今はそんなこと無いんですよ。

これまで以上に厳しい自主規制の中、商業捕鯨が再開されているんです。

ということで、ちょっと勉強的な内容になるかも知れませんが、クジラ、捕鯨、日本、文化などなどについて調べて書いてみようと思っています。


これまでは、日本近海での鯨漁は禁止されていましたが、南氷洋などでの“調査捕鯨”という名目では鯨漁が続けられていました。

でも、近年は日本の周辺の海にクジラが増えすぎてしまって、水産資源が大変になっているってご存じでしたか?!

そりゃそうですよね。あれだけ大きな体をしたクジラが食べる食事の量って凄まじくて、その量が増えてるとなると大きく影響を受けてしまいます。

最近のニュースでもサケが歴史的不漁といわれていますが、クジラはサケも食べるし、イカやサンマも食べるから、全く無関係とは言えないかも。。。

だから適度にクジラを捕っていかないと、人間が食べる魚までなくなってしまうかも知れません。

できるだけ共存できる海の環境を考えると、捕鯨は大切な食糧資源確保にも繋がるんですね。


鯨肉は、大昔から日本人が食べていた食肉なので、体への負担も少ないと考えられていて、むしろ体に良いことばかり!と最近の研究では分かってきています。

正しい知識を持って、美味しく食べて、日本の鯨食文化を守り、日本の食糧資源を大切にしていければなと思っています。


今回はクジラにまつわるちょっと本気でまじめなお話。

一生懸命調べたんで、読んでみたってください。





 

【目次】


 

日本の捕鯨をめぐる状況


<縄文から続く、日本の鯨食文化>


日本人とクジラの関わりは相当古く、縄文時代から鯨肉を食べたり捕獲したりしていたことが分かっています。

獣の肉を食べることが禁止された飛鳥時代から明治初期までの約1200年の間も、クジラは魚の仲間とみなされ食べられていました。

昔から鯨肉は、貴重な動物性タンパク源として日本人の食生活に欠かせないものでした。


縄文時代は漂着したクジラを海からの恵み(浜辺に打ち上げられるなどしたもの)として活用していたと考えられますが、奈良時代には銛(もり)を使った捕鯨が行われていたようです。

1570年頃からは、クジラを銛で突き、船で引かせて弱らせ捕獲する“古式捕鯨”が始まったとされます。


江戸時代には、水軍から派生した「鯨組」という捕鯨集団による組織的な捕鯨が始まりました。

17世紀後半には、網でクジラを囲み銛で仕留める“網取り式”という効率的な漁法が開発されて、漁獲量が大幅に増えました。

塩漬けした赤肉や皮類が全国各地へ出荷され、江戸時代中頃には庶民にも鯨食文化が根付いていったそうですから、これまでは捕鯨地に近いところでの食文化から、当時の都会に拡がっていったということでしょうね。

幕末になると、欧米の大規模な捕鯨船団が鯨油を目的として日本近海でクジラを乱獲したことにより、日本の沿岸捕鯨が一時的に衰退しました。

しかし明治時代に捕鯨砲を使ったノルウェー式捕鯨法が導入されると、クジラの供給量は回復しました。


1906年には、宮城県の牡鹿半島に捕鯨基地が完成して本格的な捕鯨が開始されました。

1934年になると、日本は南氷洋での母船式捕鯨に参入するようになりました。


第二次世界大戦後の食糧難の時代、安価で栄養価の高い鯨肉は、日本人の食生活を支える重要な食材でした。

学校給食でも子どもたちの健康を育むメニューとして提供されてきました。

国民一人当たりの食肉供給量においては、1962年まで鯨肉が牛・豚・鶏を上回っており、鯨肉は日本人にとってなくてはならない食材だったのです。


<参考サイト>

・捕鯨の歴史|日本捕鯨協会 鯨食文化


・入門 食の社会学


・にっぽにあ






<IWCの設立から日本の脱退まで>


19世紀末頃には、世界中で“商業捕鯨”、つまり商売目的の捕鯨がさかんに行われていたそうです。

1948年に設立された国際捕鯨委員会(IWC)には、日本も鯨資源の持続的な利用のため1951年に加盟しました。

IWCの過半数は反捕鯨国が占めており、資源の減少を理由に商業捕鯨を止めようという流れができ、1970年前後から欧米を中心に反捕鯨運動が巻き起こりました。

それとともにクジラの捕獲規制が強化され、クジラの供給量は年々減少。

1987年に商業捕鯨が停止されると、クジラは高級食材として日常の食卓から遠ざかってしまいました。

日本も1988年に商業捕鯨を中止し、調査を目的とした“調査捕鯨”に切り替えました。

しかし、鯨資源の減少や商業捕鯨の中止の必要性について科学的根拠がなかったこともあって、IWC加盟国であるノルウェーやアイスランドが次々と商業捕鯨を再開し始めました。

IWCの内部で捕鯨国と反捕鯨国の対立が激しくなる中、日本も30年以上にわたる交渉が実を結ばず、2019年にIWCを脱退。

そして、31年ぶりに商業捕鯨を再開することになったのです。



◎水産庁「捕鯨をめぐる情勢」より


<参考サイト>


・TSURINEWS


・水産庁 捕鯨をめぐる情勢


・財団法人日本鯨類研究所 クジラの調査はなぜやるの?






<日本の捕鯨区域の変遷>


商業捕鯨を再開した日本ですが、乱獲を防止するため、脱退後もIWCで採択された方式をもとに調査捕鯨時よりも厳しい自主的な捕獲枠を定めて、資源量に配慮しながら捕鯨しています。

現在、多くの種類のクジラが増加傾向にあり、資源として充分利用できるほど豊富になっています。




◎財団法人日本鯨類研究所「クジラの調査はなぜやるの?」より


IWC脱退に伴い、南氷洋での捕鯨ができなくなったこともあって、現在日本では領海ならびに排他的経済水域内で商業捕鯨を行っています。

商業捕鯨では日本の沿岸で行う上、冷蔵技術の発達もあって、一度も冷凍していない上質な生肉が流通するようになりました。


<参考サイト>


・J-CASTニュース





<日本の捕鯨と海のSDGs>


世界の人口は2050年には90億人を超えると推測されており、近い将来、世界的な食糧不足問題が懸念されています。

そうした中、食料自給率の低い日本では、鯨類を含む水産資源の持続的な利用が課題となっています。これまで調査捕鯨で蓄積したデータに基づいて、鯨肉を食料として持続的に利用できるよう、計画的な捕鯨が行われています。


次に海の環境や水産資源に目を向けてみると、さらにビックリ(驚)!

クジラが1日あたり食べるエサの量は体重の約4%で、年間にすると体重の約15倍になります。

そこから試算すると、世界中のクジラが1年間に食べるエサの総量は、人間が1年間に漁獲する量の3~6倍にも上ります。

クジラは海の中で最も大きい動物であり、海の食物連鎖の頂点に位置しています。

クジラを利用せず過剰に保護することで増えすぎたクジラが、カタクチイワシやサンマ、スケトウダラ、サケなどの商業漁業対象種を食べてしまうと、生態系のバランスが崩れ、漁業に深刻な影響を与えると懸念されています。




◎財団法人日本鯨類研究所「クジラの調査はなぜやるの?」より



クジラを適度に捕獲することで、人間が利用できる漁業対象種が確保でき、海の生態系のバランスを守ることにつながります。

たとえば20トンのクジラを1頭捕獲すると、体重の約15倍、つまり年間で300トンの水産資源が守れることになるそうです。

鯨肉を食べることで、海のSDGsに貢献することにつながると考えられています。


<参考サイト>

・公益財団法人 日本海事広報協会


 

クジラの主な水揚げ地と、人とクジラの関わり


<鯨信仰や捕鯨文化の伝承>


文化庁が認定する日本遺産(平成28年度)に、和歌山県の「鯨とともに生きる」が選ばれました。

クジラは日本人にとって信仰の対象となる特別な存在でした。

日本各地で、産業としての捕鯨だけでなく、捕鯨やクジラにまつわる様々な信仰伝統芸能祭礼絵画書籍どが伝承されています。


漂着したクジラは、外来の神である「えびす」の名で呼ばれ神格化しながら資源として利用され、これが「寄り神信仰」の起源となっています。

“寄り鯨”の到来は「七浦が潤う」ともいわれ、恵みをもたらしてくれるものと理解されていました。

また地域によっては“寄り鯨”を食べると不漁になるという逆の伝承も存在しました。


“寄り鯨”や漁で捕獲したクジラへの感謝や追悼を込めた記念碑が、「鯨塚」「鯨墓」などとして各地に設けられています。


また、クジラをご神体としたり、捕鯨行為を神事としてとらえ信仰したりしている「鯨神社」や、捕獲したクジラに位牌をつくったり戒名をつけたり墓を建てたりしている「鯨寺」などもあります。

伝統芸能としては、鯨漁の感謝や供養を表現した「鯨唄」や「鯨踊り」「鯨太鼓」など。

また、寺社を中心として行われる「鯨祭り」なども各地で行われています。


クジラを大切にして、共生してきた文化や風習、伝統などが今もなお日本各地に大切にされて残ってるんやね。

どれだけ日本人がクジラを大切にしてきたか、もっとたくさんの方に知ってもらえたらと思います。


<参考サイト>


・鯨とともに生きる


・Wikipedia 捕鯨文化


・農林水産省[History]日本人と鯨







<各地のクジラ関連の施設や鯨信仰、捕鯨文化の紹介>


調べた物を列記していますが、漏れや間違いなどあるかも知れません。ご容赦ください。

気になった部分や修正などあればご指摘ください。

全ての場所に行けないと思いますが、ちょっとでも現地も見てみたいなと思います。



【鹿児島県南さつま市】

2002年(平成14年)に小湊干拓海岸に座礁した14頭のマッコウ鯨の内1頭を骨格標本として永久保存し、後世へ座礁の記録を残すために建設された「くじらの眠る丘」。

1階の前面がガラス張りでクジラの骨格全体を見渡せ、2階のロフトからは骨格を見下ろせる造りになっている。


【長崎県長崎市】

諏訪神社の秋季大祭「長崎くんち」での万屋町(よろずやまち)の奉納踊りが「鯨の潮吹き」。

クジラが潮を吹きながら街中を進んでいく様子が演じられる。


【長崎県東彼杵町】

かつてクジラの水揚げ地として賑わった「彼杵港」の近くにある道の駅「彼杵の荘」。

1694年に開港した彼杵港には 「元禄船着場跡」の碑が残っている。

五島沖で捕れたクジラが彼杵港に運ばれ九州各地に送られていたので、港周辺は大いに栄えたとのこと。

こちらではその時の名残として、食事処では鯨肉が入っただご汁定食や、炊き込みご飯など郷土色豊かな鯨料理を味わうことができる。




【長崎県新上五島町】

「海童神社」の鳥居は、東シナ海で捕獲された体長18.2mのナガス鯨のあごの骨でできている。

1973年(昭和48年)に日東捕鯨株式会社によって奉納されたが、記録によれば現在の鳥居は三代目であり、それ以前は何で作られていたか判明していない。


【長崎県平戸市】

古式捕鯨の様子を歌う「生月勇魚捕唄(いきつきいさなとりうた)」は、太鼓の音に合わせた特徴的な歌い方で、地元の婚礼や新築祝いで披露されることも。

神々とクジラの強いつながりが表現されている。


【大分県杵臼市】

市内にはクジラの墓が5つ見られる。

その中で大泊では1870年(明治3年)、漁港を作るため大きな借金を抱え財政が逼迫していた時、流れ鯨を捕獲し、これが高値で売れたため借金を返済することができた。

それに感謝し供養した墓といわれる。


【佐賀県唐津市】

佐賀県指定重要文化財である「鯨組主中尾家屋敷」は、江戸時代に鯨組主として巨万の富を築いた中尾家の屋敷として建てられた建物で、捕鯨で栄えた港町呼子の繁栄を今に伝える歴史的建造物。


<写真>photoAC 「鯨組主中尾家屋敷」



【山口県下関市】

国内唯一、全長26メートルあるシロナガス鯨の全身骨格標本を展示している「海響館(かいきょうかん)」では、下関市周辺に生息するクジラの仲間の調査・研究も行っている。


<写真>photoAC 「しものせき水族館 海響館」



【山口県長門市】

江戸時代から明治時代にわたり捕鯨が盛んに行われてきた青海島の通地区「通(かよい)くじら祭り」では、古式捕鯨の勇壮な様子が再現される。

男たちが手漕ぎの和船に乗り、大きなクジラに見立てた船をモリや網を使って追い込み、捕獲して岸まで引き揚げ、クジラに対する恩恵と感謝の気持ちを込めた鯨唄が披露される。

同地区の向岸寺に鯨墓がある。

かつては対岸の長門市仙崎にも鯨墓が存在し、仙崎出身の詩人の金子みすゞは、鯨墓が存在する地域の慣わしに感銘し『鯨墓』を書いた。


【高知県室戸市】

土佐捕鯨発祥の地として古くから栄えてきたクジラのまち。

近海にクジラが出没すること、海軍(土佐藩主の兵)の訓練のためにという2つの理由から、捕鯨が盛んに行われた。

浜には捕ってきたクジラをあげて解体した「鯨ばえ」という場所がある。


【高知県香美市】

土佐山田町に「八王子宮」という、クジラをまつる神社がある。

現在の地には1640年(寛永17年)に移転され、そこで江戸時代から続く捕鯨集団の浮津組の氏神になり現在に至る。

神社であるが、鯨位牌が奉納されている。


【愛媛県西予市】

明浜町地域(旧・明浜町)には3つの鯨塚があり、最もよく知られているのは高山地区のもの。

1837年天保年)、大きなクジラがこの海岸に打ち上げられた。

この年は大飢饉で苦しんでいたが、このクジラのおかげで村民は生き延びることができた。

これに感謝して「鱗王院殿法界全果大居士」の戒名がおくられ、手厚くまつられた。

町指定有形民俗文化財。


【和歌山県太地町】

日本捕鯨発祥の地。

約400年前より「太地浦くじら祭」が開催されている。

2艇の船の間に橋を渡して作った桟敷の上で、漁師が打つ太鼓と歌に合わせて踊るこの踊りで、海の安全祈願や豊漁を祝う。

綾棒(あやぼう)を捕鯨銛に見立てて踊る「綾(あや)踊り」、クジラをつかみ取るところを表現した「魚踊り」などがある。

同町にある恵比寿神社の「恵比須の宮」の鳥居は、クジラの骨(主に肋骨)でできている、日本最古の鯨鳥居。


<写真>photoAC 「太地町立くじらの博物館」



【和歌山県那智勝浦町】

多くのクジラにまつわる祭りや伝統芸能が今も受け継がれている。

飛鳥神社の「お弓祭り」や塩竈(しおがま)神社の「せみ祭り」では、セミ鯨を模した、木やわらで作られた「せみ」という縁起物が的に取り付けられ、豊漁や航海の安全を祈願している。


【和歌山県新宮市】

「三輪崎八幡神社」で毎年9月に行われる霊大祭で披露される「鯨踊り」は、1967年に市の無形民俗文化財、1974年に和歌山県の無形民俗文化財に認定されている。

約300年前、この地の領主が京都の公家に鯨肉を献上した際に誕生したもの。


【和歌山県古座川】

古座川の河口にある河内島を中心に開催される「河内(こうち)祭」。

華やかな装飾を施した捕鯨の水上渡御では、島の周りを周りながら「御船謡(みふねうた)」を歌うのをみることができる。

1999年に「河内祭の御船行事」として国の重要無形民俗文化財に指定。


【大阪府大阪市】

「瑞光寺 雪鯨橋(ずいこうじ せつげいきょう)」は、鯨骨の橋。

1765年(宝暦6年)に建造されたもので、現在まで欄干は6度架け替えられている。

瑞光寺の僧が現在の和歌山県太地町で豊漁祈念をしたお礼として、クジラを供養するために漁師から贈られた骨で造られた。


<写真>photoAC 「瑞光寺 鯨橋」



【京都府与謝郡伊根町】

「蛭子(えびす)神社」には3つの鯨墓があり、えびす神とクジラのつながりが見られる。

母クジラを誤って捕獲してしまい子クジラまで死なせてしまったという漁民の後悔から、この墓が建てられたという話が伝わっている。

この時の親子クジラの肉には一切手を付けなかったと言われている。


【三重県四日市市】

鳥出神社の「鯨船行事」は、ユネスコ無形文化遺産や、国の重要無形民俗文化財に指定された行事。

豪華に装飾された鯨船山車が、大漁や富貴の象徴に見立てたクジラと荒海で格闘し、仕留める様子を表現しながら練り歩く。


<写真>photoAC 「富田の鯨船行事」



【三重県鈴鹿市】

「長太鯨船行事(なごのくじらぶねぎょうじ)」は、飯野神社の秋祭りにて行われる。

伊勢湾に迷い込んだクジラを銛で仕留めるという古式鯨漁法を模した、神に様々な祈願を行う祭り。

捕鯨船に見立てた山車の「天王丸」を、捕鯨上下歌や太鼓に合わせて引き回し、歌が最高潮に達したクライマックスで若衆(踊り子)が軸先の張り子のクジラを仕留める。


【三重県尾鷲市】

飛鳥神社「はらそ祭り」は、実際に海上に船を漕ぎ出してクジラを突く所作をしてみせる鯨船行事。

市の指定文化財。


【三重県鳥羽市】

「相差天王(おうさつてんのう)くじら祭り」は、相差の地に伝わるクジラに乗った観音様の伝説が由来の、豊漁感謝と航海安全を祈願するお祭り。

鳥羽から志摩にかけて、海岸沿いの港町を中心として各地区ごとに行われる。

大きな鯨神輿などが練り歩き、露店や花火大会などでにぎわう。


【富山県射水市】

「鯨神輿(くじらみこし)」の名だが、クジラの形ではなく普通の神輿。

1849年(嘉永2年)、海老江に住む船主と船頭が海中に沈んだクジラを引き揚げ、それを売ったお金でつくったとされる。

海老江加茂神社に奉納され、毎年9月の秋季例大祭で引き回される。


【石川県能登町】

縄文時代からクジラとのかかわりが深く、町内各地で鯨伝説やクジラにちなんだ地名が残っている。

神目神社に奉納されている「鯨獲絵馬」、庄司兵衛という男が死後クジラになってお礼をしたという「庄司兵衛鯨伝説」、乗り上げたクジラにちなんで名づけられた「波並鯨島」という地名など。


【新潟県佐渡市】

椎泊にある「願誓寺」では、1888年(明治21年)に144メートルの流れ鯨を供養し鯨魚塔という銘の墓を立て「釋震聲能度鯨魚」という戒名をつけたとのこと。


【東京都品川区】

1798年(寛政10年)、品川沖に紛れ込んで品川の漁師たちにより捕まえられたクジラの供養碑「鯨塚」が、利田神社の横に「鯨塚」として現存している。




【東京都昭島市】

1961年8月に市内の多摩川河川敷で、新種のクジラの化石が発見されたことにちなんだ「昭島市民くじら祭」が開催されている。

クジラを模した山車が練り歩くパレードや、模擬店や花火などが楽しめる。


【東京都三宅島

阿古錆ヶ浜に「鯨神社」と呼ばれる神社がある。

大飢饉で危機に瀕していたところ、1832年(天保3年)に流れクジラが到来し、役所の検分の後払い下げられ、飢えから逃れられたことへの感謝から、クジラの骨を埋葬し祠を建てたのが始まりとされる。


【千葉県南房総市】

関東唯一の捕鯨基地があるまちで、「道の駅和田浦」にはシロナガス鯨の骨格標本のレプリカが屋外展示されている。

白浜町乙浜でも江戸~明治時代に捕鯨が行われており、1871年頃、出漁前に漁師が無事を祈るため鯨塚が建てられた。

千倉町千田の長性寺には、1896年に捕られたクジラを弔うための鯨塚が残っている。


【千葉県鋸南町】

江戸~明治時代、醍醐家などによって捕鯨が行われており、板井ケ谷の弁才天に1年に1基ずつ石宮が建立されてきた。


【静岡県松崎町】

「雲見くじら館」では、1977年(昭和52年)4月15日に雲見港に迷い込んだセミ鯨の世界的にも貴重な骨格標本が展示されている。

貴重な資料として、その昔、雲見上の山城主、高橋丹波守が北条氏に鯨肉を献上した古文書も残されており、「雲見くじら館」の近くにある雲見海岸には、クジラの供養塔も設けられている。


【長野県佐久市】

昔、佐久下県(現佐久市伴野)の千曲川までクジラが遡上してきたが、住民が仕留めてしまい、その頭部を御神体として祀ったという「鯨の宮」がある。

海から離れた佐久一帯にはなぜかクジラにまつわる伝説が多いとのこと。


【宮城県気仙沼市唐桑町】

ある日の嵐の時、白いクジラが二頭で、沈没しかかった船を両脇から支えるようにして岸に運んだという伝承があり、唐桑町の人は先祖代々クジラを食べない。

御崎神社の境内には、「鯨塚」の石碑がいくつか残るが、これは鯨漁をしていた時代の名残である。


【宮城県石巻市】

1953年から、海難事故者の慰霊および鯨霊供養のために開催されている「牡鹿鯨まつり」では、鯨料理の試食会などを行い、鯨食文化を発信し続けている。

「ホエールタウンおしか」内、「おしかホエールランド」はクジラの生態や特徴、牡鹿半島における鯨文化を紹介する施設で、館内には日本有数のマッコウ鯨や貴重なコク鯨の骨格標本が展示されている。


【北海道白糠町】

アイヌの人々は、クジラが海岸に寄り上がったところを歌と踊りで表現した「フンぺリムセ」という儀式を通じ、クジラへの感謝を伝える。

「フンぺ(鯨)まつり」などにおいて、「白糠アイヌ文化保存会」が演じている。


【北海道網走市】

5~13世紀に栄えたオホーツク文化最大の遺跡「モヨロ貝塚」からは、クジラの骨で作られた銛が多数発掘されるなどクジラとの関わりが深い。


【北海道室蘭市】

「室蘭八幡宮」は、「鯨八幡」とも呼ばれる。

神社の造営にあたり市民からの寄付が思うように集まらなかったところ、追直浜にクジラが漂着したので、北海道開拓使に願いでて払い下げを受けこのクジラを売った代価を造営費用にしたことに由来する。

八幡宮の絵馬はクジラで、祭りの時には「鯨神の舞」という御神楽が披露される。


【北海道釧路市】

1944年、釧路港に捕鯨事業場が設立され、釧路は1952年から1961年の10年間、沿岸捕鯨で日本一の捕獲頭数を記録し、日本を代表する捕鯨基地として全盛を極めた。

2005年には釧路市と漁協や市場が一体となって、商業捕鯨の再開とクジラの文化を広めることを目的に「釧路くじら協議会」が設立され、鯨料理や加工品の開発、鯨学習、捕鯨史の編纂、ミンク鯨の骨格標本作りに取りかかった。

2010年からは「くじら祭り&くしろの鯨味めぐり」を開催している。


【北海道函館市】

捕鯨船の元船長兼砲手が建立に尽力した「鯨族供養塔」には、絶滅危惧種とされるセミ鯨の模型が据えられており、年に1度、供養祭が行われる。


<参考サイト>


・Wikipedia 鯨塚


・Wikipedia 鯨墓


・農林水産省[Guide]鯨ゆかりの地を巡ってみよう 全国「鯨」マップ


・くじらと人のつながり


・新上五島町観光物産協会 海童神社


・鯨の墓 杵臼市役所


・鯨組主中尾家屋敷(佐賀県指定重要文化財)/呼子


・鯨文化と産業


・室戸ユネスコ世界ジオパーク > ジオパークマップ > 室戸 > 鯨ばえ


・太地町観光協会 恵比寿神社


・長太鯨船行事


・北勢・熊野の鯨船行事


・鯨神輿


・射水・海老江地区の「鯨神輿」アニメ化 海にまつわる郷土文化分かりやすく


・能登の漁業伝統~鯨伝説碑~


・利田神社・鯨塚


・西伊豆・雲見温泉観光協会


・おしかホエールランド


・網走とクジラ


・室蘭八幡宮


・「釧路とくじら」について


・鯨族供養塔



 

《クジラの美味しい部位をご紹介⑦》須の子(すのこ)

背中側の、表面が黒から灰色がかった皮を「黒皮」、お腹側の、表面でじゃばら状になっている下あごから腹部までの部位を「畝須(うねす)」と言います。

脂の白い部分は「畝(うね)」で、その内側の赤い肉の部分が「須の子(すのこ)」です。

煮込むとほろほろとほぐれるのが特徴で、じっくり煮込むとトロトロになって旨みが出ます。

甘辛煮などの料理に最適で、大和煮の缶詰の原料として最高級部位とされています。

解凍のコツは、低温でゆっくり時間をかけること。

さらに1日、冷蔵庫で保管して熟成させるとより旨みが増します。





<高浜商店の商品紹介>


【不定貫】ナガス鯨 畝須1㎏


<参考サイト>


・クジラ肉の豆知識


・くじら肉の部位と名称、料理の例





《おうちでも簡単!鯨肉実践レシピ⑦》鯨肉の大和煮


お酒のおつまみなどちょっとした一品としておすすめの料理です。

すのこの他、スジの多い煮込み用赤肉などで作っても。

じっくり煮込むことでコラーゲンたっぷりのプルプル食感が味わえます。


鯨肉の大和煮の作り方

【材料】

・すのこ:適量

・料理酒:100ml(肉の量により調整する)

・砂糖:適量(甘みを強く感じるぐらい)

・醤油:適量(少し薄いと感じるぐらい)

・きざみショウガ:1かけ


【作り方】

・すのこを一口大に切り、たっぷりのお湯でゆでる。

・灰汁を丁寧に取り除き、中火で煮込む。

・料理酒と砂糖を入れる。

・煮詰まってきたら、醤油を入れる。

・きざみショウガを入れさらに煮詰めて、できあがり。

煮詰めすぎるとパサパサになってしまうので注意。




<高浜商店の商品紹介>


鯨肉大和煮缶詰






<鯨肉を食べるならこのお店(出張編)>


長崎県東彼杵町「道の駅 彼杵の荘」




東彼杵駅から歩いて約7〜8分のところにあります。

高速道路のインターチェンジを降りてすぐの所なので、車で行かれても便利なところです。

施設では彼杵のお茶やお弁当の販売などもありますが、なんといってもお食事処で食べられる鯨料理がおすすめですね。

くじらの炊き込みご飯や鯨肉の入っただご汁が食べられます。

しかも安い!

だご汁はボリューミーでとても食べやすく、寒い季節にはおすすめですね!




「道の駅 彼杵の荘」(食堂営業時間:11:00~14:00[月〜土])


長崎県東彼杵郡東彼杵町彼杵宿郷747番地2



JR彼杵駅から徒歩約8分

長崎自動車道「そのぎI.C」から車で1分





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